非通知





 これ、先輩の彼女が友人から聞いた話らしいんだけどさ……、そう言って太田は話し始めた。どれだけ人づてなんだと思いながら、ついつい帰ろうと上げていた腰を下ろしてしまった。
 今思えばあの時、聴かずに帰ってしまえばよかった。終電がもうすぐ出てしまうというのに、なぜ、特に好きでもない会談を聴く気になったのか。

***
 A子は今とちょうど同じくらいの時間、午前零時を過ぎたあたり、シフトの時間を超過して終わったバイトからの帰りだった。いつもより遅い時間に歩く道は、見慣れているはずなのにどこかよそよそしく、自然と歩調が速くなる。
 家のすぐ近くの公園にさしかかったときだった。
ピリリリリ
 それまで自分の足音だけだった空間に、思いがけず侵入してきた機械音。驚いて肩をすくめたまま、音のしたほうを見ると、公園内のベンチに光と音を発するものを見つけた。音からして携帯電話だろうと思ったA子は、鳴り続ける音に誘われるようにして、ベンチに近づいていった。拾い上げてもまだ携帯は鳴り続いていて、A子はこれを落とした人がかけているのかもしれないと思い、通話ボタンを押した。
 しかし、聞こえてきたのは焦った人の声ではなく、ザーザーというテレビの砂嵐のような、無機音だった。携帯を耳から離し、画面を見ると、着信の相手は非通知になっていた。A子は気味が悪くなって、すぐに通話を切り携帯を投げ捨て、何かから逃げるように、走って公園を後にした。
 家にたどり着き、A子が上がった息を整えていると、上着のポケットが震えた。ポケットから携帯を取り出し、着信画面を見ると、非通知の表示になっている。あまりのタイミングのよさにA子は出るのをためらったが、着信音はいつまでたっても鳴り止まない。わずかに震える指で、A子は通話ボタンを押した。
リリリ、ピッ
 聞こえたのはザーザーという無機音、そして、それが途切れたあとに、聞き覚えのない声。
「なんで、捨てたの」

***

「……なんで帰る前にそんな話すんだよ!」
「帰りたくなくなったろ?」
 してやったりというような太田の顔に、無性に腹が立ったが、その通りなので何も言い返せなかった。不機嫌な俺の態度にためらう様子もなく、それから、と太田は続けた。
「この話、聞いた人には、同じ事が起こるんだってよ」
「……おまえは起こったのかよ」
「まさか!! まあ本当のこというと、俺が作ったんだぜ、これ。聞いた話ってのは嘘だよ。よくできてたろ」
「は……作り話かよ」
 その事実に安堵した自分がいて、また腹が立った。そして時計を確認すると、とうに終電の時間は過ぎていた。
 太田の家に泊まることを決め、風呂を借りた。風呂から出ると、太田が、なんかずっと鳴ってたぞ、と言いながら俺の携帯を投げてよこした。履歴を見ようとした時、不意に携帯が鳴った。着信は、非通知。

 少し、ほんの少し、出るのをためらう。いっこうに出ようとしない俺を見て、太田が楽しそうに言ってくる。
「なんだよ出ないのか? ……あ、もしかしてさっきの話でびびってんの?」
 そんなわけないだろ、と言い返しながら、通話ボタンに添えた指に力が入らないのもまた事実だった。力の入らない指を、通話ボタンの上で行ったり来たりさせる。その間に着信音が鳴り止むことを願ってみるが、いっこうに鳴り止む気配がない。
 ニヤニヤしている太田の顔を見て、あとワンコール鳴ったら出ようと、決心を固める。
ピリリリッ
 通話ボタンを押そうとした瞬間、電話が切れた。画面に、不在着信の文字が出る。拍子抜けして、一つ息をついた。
 太田の方を振り向けば、さっきと変わらないニヤけた表情で自分の携帯の画面を見せてくる。発信履歴の一番上にあるのは、俺の名前。一気に頭に血が昇って、太田に怒鳴ろうとした瞬間、水を差すように着信音が鳴り響いた。
ピリリリリ
 突然のことに反射的に、着信画面も見ずに通話ボタンを押してしまった。自分で押したのに、妙に焦ってあたふたしながら携帯を耳に当てる。聞こえたのはザーザーという無機音、そして、それが途切れたあとに、聞き覚えのない声。
「なんで、出ないの」











......end


タイトルと結末が2種類あって、散々悩んだ結果がこれ。。
070509(初出060628) 睦月 朔