夏の夜の夢





「ごめん、俺……もう彼女いるから」
「……知ってるって。一応言うだけ言っときたかったの」

***

 帰り道、石を拾った。普段なら、決して気にならないようなもの。彼自身と、彼から見た自分しか気にしてなかった、普段の私なら、蹴飛ばしたところで気づくことすらなかっただろうもの。なぜだかそれが欲しくて、思わず手にとってしまった。  部屋まで持ち帰ったのはいいけれど、パステルピンクとオフホワイトが基調のちょっとファンシー系なこの部屋では、緑がかった青い色をした石は完璧に浮いてしまっている。ベッドの上の柔らかく滑らかな毛並みのテディ・ベアとも、このごつごつした石が似合うとは到底思えない。
 そういえばこの趣味のことは結局、彼に言えなかったな、と思う。彼が、可愛い系のコは苦手だと言ったから。だから、彼に気に入られるように、彼の一番近くにいられるように、さっぱりとして、少し男らしいくらいの自分を演じていたのに、彼が選んだのは結局、緩いくせっ毛で身長149センチ、刺繍が趣味の、可愛らしい私の親友だった。苦手だと言ったのは、最初から彼女のことが好きだったから故の照れ隠しだったのだと、付き合うことの報告に来た彼女から聞いた。それを聞いて、やっぱり彼が好きだと思ったけれど、それを彼女に言えるはずもなく、よかったね、幸せにね、と精一杯の笑顔で祝福した。
 だって、本当にそう思っていたから。彼女は私の親友で、誰より大切な人だったから、幸せになってほしいとずっと願っていた。彼女の幸せのために私にできることは、早く彼を諦めること。せっかく、彼女にも伝えていないこの気持ちを、きれいさっぱり消してしまうこと。
 アロマオイルのかごから「夏の夜の夢」を取り出し、新しいコットンに一滴たらす。いつもの「ローズガーデン」の少し甘すぎる香りは、今のぐるぐると渦巻く気持ちには似つかわしくないと思った。ベッドに寝そべり、お気に入りのテディベアではなく、拾った石を強く握り締めたまま、眠りに落ちていく。少なめにしたオイルとともに、彼への想いが全部蒸発していけばいい。夏の夜の夢のように。

***

「え、なんで?」
「なにが?」
「なんで、あたしらここにいんの?」
「お前がデートしたいつったんだろ」
「あ……そっか」
「俺おいて先にボケんじゃねぇよ」
 微笑みとともに軽く頭をはたかれ、同じように笑みをこぼす。彼といるときのこの気安い雰囲気が好きだ。
「なぁ」
「え、あ……」
 呼ばれて彼のほうに顔を向ける前に、左手がぬくもりに包まれる。
「手つないだほうがデートっぽいだろ」
「……そうだね」
 私も女の中では大柄なほうだが、それでもやっぱり男の彼は私より背が高い。私よりも大きな彼の手は、少し骨張ってごつごつした感じはあるけれど、それも伝わる体温とあわせて考えれば心地いい。包まれている、という感覚にひどく安心する。
「それにお前すぐこけるし」
「すいませんね、ドジで……ぅわっ」
「ったく、言ってるそばから……」
 つまづいて倒れる前に、つないだ手を強く引かれて体勢を持ち直した。その後、最初より強く握られた手が嬉しくて、少し顔が熱くなった。
 今度はつまづかないように、ゆっくりと緑色の階段を下りていく。階段を下りた先にあるショップのウィンドウに目を輝かせ、かけよる。手をつないだままだった彼は半ば引きずられるようになっていたけれど、それでも手を離さないでいてくれたことが嬉しかった。
 私がウィンドウの中のテディ・ベアや、ひらひらしたレースの服を着た青い目のアンティークドール、ハートや花の形をしたアロマキャンドルたちに見入っていると、彼が不思議そうな声で聞いてきた。
「あれ、お前そういうの好きだっけ?」
「そうだよ、なに、似合わない?」
「いや……そういうのってなんか可愛いよな」
「でしょ? 私ほんとこういうの大好きで」
「じゃなくて、そういうのを可愛いって言うのがさ……」
「……あ、たし?」
「まぁ……」
 鼻の頭を掻きながら恥ずかしそうに言う彼に、思いがけない言葉に赤くなっていた私の頬がさらに赤くなったのを感じた。きっと今は耳まで赤いと思う。
「え、あ、ありがとう……」
「いや、……うん。あ、店入らねぇの?」
「今日は、いいや」
「そっか……」
「うん。ね、あのベンチ座らない?」
 そういって指差した先にある緑色のベンチに二人で腰掛ける。さっきの会話で、気まずいようなくすぐったいような雰囲気が漂ったまま、しばらく無言が続く。照れくささの混じった沈黙から、先に抜け出したのは彼だった。
「その、傷大丈夫か?」
「え、どれ?」
「ほら、この右手の……」
 そういって彼は、私の右手に手をそっと重ねてきた。つられて下に目を向けると、確かに右手の甲に3本の小さな傷がついている。
 でも傷に痛みはなくて、それよりも、重ねられた手の熱さばかりに意識がいってしまう。だんだんと大きくなる胸の鼓動が耳にまで響き、そろそろ体の外にまでこぼれてしまうんじゃないかと思ったとき、うつむいたままの視線の先で、重ねた手の上の影が濃くなった。不思議に思って顔を上げた。私の視界はすぐに彼でいっぱいになった。

***

私の視界を占めたのは、パステルピンクのタオルケット。子供のころからの思い出の詰まったそれが、幸せな夢の終わりを教えてくれた。
 彼の手の感触を伝えてくれた石は、どこにも見当たらない。どうして私はあの石に縋ったのか。いつもどおり、テディ・ベアを抱き締めて寝たなら、こんな夢を見ることもなかったかもしれないのに。
 引き出されてしまった私の気持ちは心に留まったまま、消える気配すら見せてくれない。緑色は嫉妬の色。幸せな夢はそのまま醜い私の本当の感情。必死に押し隠していた妬みと悔しさ。

 諦めたくない。

 じわりと滲んでいた汗と、それ以外の何かが頬を伝っていく。
 本当の自分をさらけ出された夏の夜。









end


・形はごつごつしていて、手のひらに収まる鶏の卵くらいの大きさ。
・色は緑がかった青(どこにでもあるような石の色)で、メノウのような筋が入っている。
・傷が3本入っており、持ち主にも同じように赤っぽいミミズ腫れのような傷が3本からだのどこかに現れる。(長さは人それぞれ)
・持ち主の心の奥底にある願いを引き出す。
・願いを引き出した後は消える(人手に渡る、いつの間にか、等)
という石が共通テーマの企画にて。
目指したのは少女漫画の世界。
070509(初出051112) 睦月 朔