理想



 出合ったことで人生が変わる。



 一枚の写真と劇的な出合いをする。いや、出合いの過程は劇的でもなんでもない。けれどその写真に出合ったことが人生に劇的な変化をもたらす。


 自分の気持ちを表現するのに、写真という手段があるのだと、その写真が教えてくれた。それまで、言葉で自分の気持ちを表現することが苦手で、トラブルばかり起こしてきた。それならばと、人と関わりあうことを極力避けるようになった。逃げることばかりを考えて、表現を何とか工夫しようだとか、立ち向かうことは考えなかった。  だから、自分の気持ちを表現するのに、言葉や仕草ではない、自分ではないものを使うだなんて考えもしなかった。
 初めは何もわからなかった。どうやったら自分の気持ちがフィルムに焼きつくか、どうやったら自分の気持ちを表す一瞬を見つけることができるか、ただひたすら写真を撮り続けた。

 そして、アルバムが五冊を越えた頃、やっとわかった。ファインダーを覗いた瞬間から、レンズの先の世界は、自分の主観が捉えた世界、自分の気持ちを反映した世界になる。そう気づいてから、今まで以上に写真を撮っていった。もちろん、最初の目的も忘れていない。

 親鳥が雛鳥にえさをやる瞬間を捉えることができた。緑の葉が生い茂る中、どこからかえさをとってきて、暖かな寝床で待つ雛に、食べやすいようにして渡すのだ。その写真に「いつも、ありがとう」と添えて、両親に渡した。

 雪の残るアルプスを背景に、緑が広がる高原。一面の草をそよがせている風に、冬の厳しさはない。小さな花も、幸せそうに頭を揺らす。君がいてくれたらどこにだって春は来る。プロポーズの指輪に添えた。

 夜明けの海は一枚じゃ撮りつくせない。暗い夜闇が白んでいき、光の矢が空と海を貫いていく。世界が生まれ変わる瞬間。君が生まれてきてくれて本当に嬉しいのだと、生まれたばかりの娘の枕元に、そっと置いた。

 旅先で見つけたアンティークの扉。わずかに開くとドアベルが鳴る。差し込む光は、眩しくも優しいものだ。この先に続く未来が辛くとも、君と一緒ならきっと歩んでいける。定年の祝いの場で、妻に贈った。

 遥か彼方まで続く道。決してまっすぐではないけれど、それは次の世界へとつながる道。死は終わりではなく、次の世界へ向かうための、長い長い道の中にある、一つの通過点だ。死んだ後も気持ちは残る。遺言状に同封した。


 あの出合いから、自分の一生は写真とともにあった。あの写真に出合えたから、これほど悔いのない人生を送ることができた。この清々しい旅立ちをくれたことに、大きな感謝を送ろう。



 そんな写真が撮れたなら。









end


何かを生み出す人の、理想の形のひとつ。こんな人がいてもいいかな、と。
070509(初出070329) 睦月 朔