※これはshort storyの「僕と彼女の一年は」の続きのような感じです。先にそちらを読むことをおすすめします。
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桜と空 紅というよりは、季節はずれの雪を連想する。そんな淡い淡い色の花を咲かせる、自分と同じ名前の樹を見上げる。この時期、花はまだつぼみの状態で、大きくふくらみ、近づくその時を今か今かと待ち望んでいる。それはまさに今の自分で、いったい誰が考えた皮肉かと思い苦笑する。 今日の空は雲ひとつなく、今この花が咲き誇ったなら、とても美しく映えるだろうと思えた。夜の闇の中、月明かりに浮かぶ薄紅色は、艶やかで妖しく、儚さが強調されよりいっそう美しい。けれど、青い空の下、春風にそよぐ姿は、くっきりとした幹の雄雄しさと、主線を持たない花の柔らかさ、繊細さに、今ここに息づいている生命の美しさを感じることができる。 この樹に花が咲き誇る日が、今日のような雲ひとつない青空であることを願って、ナルシストのような思考を終える。腕時計で時間を確認し、待ち合わせの時間にはまだ大きく余裕があることを実感する。どれだけ自分は待ち遠しいのかと思ってしまう。結局、諦めることなどできていないのだ。 鞄から取り出した絵葉書の裏面には、さっき自分が思い描いていた光景が広がっている。郵便受けを覗いた時、それだけでも驚いたというのに、その送り主と書かれていた言葉に、さらに驚きが深まった。自分の記憶の中の彼はいつもひどく慎重で、悪く言ってしまうなら臆病だった。歯がゆく思いながら、それすらも愛しかったのだけれど。その彼が、転居届けとともに送ってきた言葉が、 「会いに行っていいだろうか」 だった。転居届けに添える言葉が普通は「いつでも来い」などの受身のものであることを考えれば、最終判断をこちらに委ねる弱さと優しさは変わらないまでも、彼にしてみれば精一杯の積極性が見て取れた。 幹にもたれて、絵葉書を枝にかざす。会って、何をすると聞いたわけじゃない。けれど、確信があった。自惚れではない、少しくすぐったい確信が、胸を満たしていた。きっと、もうすぐやってくる。大きくふくらんだつぼみのまま、ぐずぐずと延びてしまっていた開花の時期が、始まりの時がやってくる。あと少し、あと少し、焦ったように駆け足でそれはやってくるのだ。だって、音が聞こえる、始まりの音が。 「――っ、桜!」 絵葉書をおろすと、たったひとつ、青空に浮かぶ薄紅色。 「久しぶり、空」 始まりの時が来た。それはあなたが運んできた春の訪れ。 …the beginning 多分これ以上は続きません……。 070509(初出070329) 睦月 朔 |